立原道造ノート3-短歌から詩へ(田中勲)

立原道造が短歌の道をすて口語自由律短歌をえらんだのはなぜか。彼の詩意識が、短歌形式そのものをのりこえて自己表現をなしおえようとする方向にはすすまなかった、といえよう。短歌の季節から、やがて、ソネット形式の西洋詩を踏襲していくのだが、詩という形式上の移行というより言語規範の移行といってよいだろう。 このことは郷原宏がその長編評論でさ…
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♪ふるさとを読もうよ(創作フォークです)

2011年の作品ですが、おききいただけるとうれしいです。 ♪ふるさとを読もうよ (作詞:キタケン 作曲・唄:わぎゅう) この本は 見えない言葉で書かれてる 大地がくれた 大事な本さ 小川のせせらぎ 日の光 小鳥のさえずり 水車小屋 きらきらきらめく いのち達 もっと読もうよ ふる…
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「愛の爪あと」(愛シリーズ三部作)のうちです。

愛シリーズ三部作」のラストは「愛の爪あと」お聞きいただけると嬉しい。 (左の▼をおして聞いてください) ♪愛の爪あと♪ どうして別離(わかれ)は とつぜん来るの 泣きに来ました  冬日(ふゆび)のホテル  渚にたたずむ あの幻影(かげ)も  いつかは見えなく なるのでしょ わたしは…
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♪愛の漂流(さすらい)です。

昨日に続き「愛の三部作」のうちの「愛の漂流(さすらい)」を掲載します。もう4年も前の作品です。 音楽の流れもずいぶんかわりましたが、じっくり聞いてください。 (i一番左の▲をおしてきいてください。) (パソコンのスピーカーも確かめてね) 愛の漂流(さすらい)♪       (作詞:キタケン 作曲・歌・わぎゅう) …
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立原道造ノート

夭逝詩人につきまとう幻影が短歌の世界での感傷であったのかもしれない。だがあえて唐突ながらここで、キルケゴールのことばを記しておきたい。  「青年が人生並に自己自身について並外れた希望をだいているときは、彼は幻影のうちにある。その代わり老人は老人でその青年時代を想起する仕方でしばしば幻影にとらえられているのを我々は見るのである」…
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立原道造ノート-短歌のころ

(前回7/8からの続き) あのとき、ちょっぴり笑った顔が感傷をたきつけるのだ、白い歯並び! 小さな白板のような歯並びがちょっぴり見えたんで、僕は今日も淋しい 「お修身」があなたに手紙を受け入れさせなかった、僕は悪い人ださうです 朝の電車の隅で会釈し返したあなた、其時の顔が其のまゝ僕をあざける 何か思いつめてた――ば…
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大手拓次 再読

(前行略)    幽霊はかろく会釈して裾をひくとあやしい楽のねがする。 かたりかたりといふ扉のおと、 ちひさな換えるははねこみ、 すばしっこい蜥蜴はちょろりとはひる。 またしても、ぼさぼさという音がして、 鼬めが尻尾でおとづれたのである。 やがて車のかすれがきこえて、 しづかに降りたってきたのは、あおじろい顔の少…
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大手拓次 再読

どこか動物たちの中には幽霊も混じって夜会がおこなわれている。まるで童話の世界のこの淋しい発想は孤独な詩人の情感そのものだろうか。拓次は次のように述べている。   「わたしは」、ながいあいだ蝸牛のやうにひとつの箱の中にひそんで居た。」「いんうつな心、くらい心、烈しい情熱のもどかしさ。」   「まったくその頃のわたしは、耳ののび…
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大手拓次再読8

少し長いようだがここに全行をうつしてみる。拓次の詩の特異さがわかるかもしれない。実はここまで文章はみやま文庫の「暮兆・拓次・恭次郎」のなかの野口武久氏のすぐれた文章を参考にさせていただいたことをおことわりしておきたい。 夜会 わたしの腹のなかでいま四階がある。 壁かかる黄色と樺とのカアテンをしぼって、 そ…
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大手拓次 再読(7)

(昨日より続く) 朔太郎の直感力は、みごとに拓次の詩精神までもみごとにとしてさらにつぎのように書いている。 「この特異な詩人の本領は性の悩ましいエロチシズと、或る怪しげな夢をもったプラトニックの恋   愛詩に尽きるのである。童貞のやうに純血で少女のように夢見がちなこの詩人は彼の幻想の部屋   で人にかくれるた秘密を…
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大手拓次 再読6

 拓次が詩を志したといわれるのが明治三十八、九年だとすると、明治三十八年には上田敏の訳詩集『海潮音』が刊行されている。この詩集の出現は当時、新体詩から近代詩へと歩み始めた多くの詩人に驚くほどの影響を与えたと言われている。 この詩集の序文には「伊太利亜に三人、英吉利に四人、独逸に七人、プロヴァンスに一人、而して仏欄西に十四人の多きに…
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大手拓次 再読5

 大手拓次の作品は詩集として四冊を数えるのみであったが、いずれも彼の死後に友人の逸見亨によってあまれたもので、生前に発刊された詩集は一冊もない。 昭和和十一年に『藍色の蟇』{アルス社)。昭和十五年に詩画集『蛇の花嫁』(竜星閣)。昭和十六年に訳詩集『異国の春』(竜星閣)。昭和十八年『詩と日記と手紙』{竜星閣})。以上であったが、…
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大手拓次 再読4

 それぞれが詩の冒頭の二、三行目である。タイトルの新鮮さとひらがなのつらなりが、ぬめるような表現で異常な世界の入りたつ読者をさそうことになるのだろう。どちらかというえば、否定的なマイナーな状況を演出している詩的想像力が逆説的な関係において現実的には成立することを証明しているのではないか。     大手拓次は群馬県碓氷群西上磯…
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大手拓次 再読(3)

 それどころか閉ざされた幻想の世界でじっと耐えるように自らの詩的世界をつむぐ。耐えるということばをつかったが、大手拓次は耐えることが苦痛ではなく、ひとり孤独の部屋でたとえば、美しいみどりの蛇の妄想とたわむれていたのかもしれない。 陶器製のあをい鴉 なめらかな母音をつつんでそひくるあをがらす、 うまれたままの暖かさでお前はよろよ…
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大手拓次再読(2)

 「藍色の蟇」では、森はたしかに動植物にとっては宝庫といえるだろうか。藍色という発想も詩人らしい。藍色の蟇は、作者の想像物だと思うが、蝦蟇という一見、背中がぶつぶつ突起した気味の悪い生物と一般的には嫌われやすい生物と思うがその「蟇」に何を夢見ようとしたのか。黄色い息を吐く、ということで、視覚が嗅覚へと写り「ひつの絵模様をかく」とふたたび…
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■大手拓次 再読 「藍色の蟇」ほか

夢想とは夢の中に神仏の示現のあること、心に思うあてのないこと。だから夢想は一瞬の儚い揺らめきを、あるいは一連の恒久的持続を要求したりするものなのか。わたしには他愛ない空想からとびだす希有な歓喜の一瞬さえも、他人のことばでしか見えない世界があった。 ひさしぶりに大手拓次の詩集を読んで、もう三十年前に初めて呼んだ頃とは違って全くつま…
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●立原道造ノート(二)習作期の短歌のころ

 立原道造が四季派の詩人と喚ばれることもあるがこの系統は、鮎川信夫によれば「永年にわたり伝統詩によってつちかわれた私的情操を基底としたものだが、本質的な隠遁主義だとおもう。」 隠遁というのは俗世界から逃れるという意味もあるのだろうが、「なるべく『人間臭くない』方向、あるいは『人工的文明から少しでも遠ざかった』方向へと向かっていこう…
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■天蚕糸・詩人論 立原道造ノート4

 立原道造の文学の出発は、短歌であり、短歌における「感傷」にあった。雑誌「未成年」の編集後記には、立原道造が初めて編んだ歌集「ガラス窓から抄」より七、八年の後に書かれたものだが〈青春の感傷を美しき文学の沃野に思いっきり氾濫させることこそ ぼくらの誇りである。感傷を怖れる所に誠実真摯はない。〉と「感傷」をなんの憶面もなくさらけだす。 …
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天蚕糸・詩人論・立原道造(3)

中村真一郎は、『立原道造詩集』のあとがきに次のように書いている。(吉本隆明の「『四季』派の関係」からの孫引き)   「ぼくは、今まで、数人の詩人に会ったことがあるが、彼だけは、どの詩人とも異なって、まった   く物語の中の詩人のやうにーー彼の書き続けた奇妙な抒情的小説の人物のやうにーー こちらを    も、その独自な夢想の中へ…
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天蚕糸・詩人論 立原道造ノート②

 立原道造が子供の頃に東京日本橋の実家を関東大震災で奪われているのだが、災害や自然の暴力の恐怖などの畏れをどのように感じていたのか、知りようもない推測があるだけである。 その詩にかぎったことではないが、一編の抒情詩といわれるもののなかには読者を、甘美であれ、憂鬱であれ、それとなくさそっておきながら心が徐々に昂ぶる高揚期に至ってぽい…
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●天蚕糸・詩人論 ●立原道造ノート①

本日から、近代詩人についての個人的な思いを述べていきたいと思います。 その第一回目として立原道造を選びました。興味のあるかたは、是非ご覧ください、 むろん興味のない方も是非ご一読ください。 * 立原道造の詩に初めてふれたときに感じた「哀切」なもの。その裏側には滅びの予感が漂っていて、死のにおいに敏感な若い頃は、一…
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■冬二探求・4

田中冬二は「次の作品はどの詩集にもの載っていない、私の作品としてはこえまでにな異色のものである。」と言う意欲作であった。 「アフリカ」をここに書き写したい。同名の作が「詩編拾遺」にはあるが、これが同名異曲なのだ。 ーー私はアフリカ大陸を旅行して来ました 酷 悪な気候より 睡眠病を伴うツエツエ蠅の来襲 より 何よりも あの…
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■冬二探求(3)

(2)意欲作「アフリカ」の拾遺をめぐって 次の「草愁詩社」という作品は、銀行員になって初めての赴任先でのことで、草愁詩社時代には、冬二は実際、詩作はしていなかった。 この作品は三十数年たった後に書かれたもので、全集の詩編拾遺にも載っていない作品である。 私は地方の小さな町の素人下宿にいた その家は髪結を本業とし 椿屋と呼…
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■冬二探求・2

「たなかや」の現在の女将さんの話では、「ともかく冬二さんはお風呂が好きで、 お酒を飲んだ後や、最中にもお風呂に行かれるんだけど、それが長湯で、いつも主人が、当時学生だった息子(現在の社長)にお風呂を覗かに行かせていた」と云うことだった。 「万一お風呂でぽっかり浮いていたなんてことがおこらないように」と言うことだったらしい。そ…
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■冬二探求ー「詩編拾遺」と散文詩集をめぐって(一) 第四章

第四章 (1)「昔のふるさとの家」の詩二編のことなど。 田中冬二全集の中の詩編拾遺には「昔のふるさとの家」という同じ題名の作品が並んいる。昭和五十年代以降のもので、晩年に近い作のようである。同名の一編は短めであるが、もう一編の作品は少し長めで、同じ内容のようでだいぶ違っている。どちらも散文に近いものだが、やや長い方の作品を左記に…
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■冬二研究(第三章)5

現在の主人の田中義人氏にお目にかかって、あれこれと、冬二氏のことを聴いたりした。 なんでも、東京上野に始めてパンダが来た頃、大きなパンダのぬいぐるみを抱えて冬二氏が「たなかや」に里帰り(?)されたという話を面白おかしく離されるのを聴いた。 結構酒好き、温泉好きでチャーミングな冬二氏であったらしかった。でもその頃はまだ銀行員で…
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■冬二研究(第三章)4

(3)戦時中の作品と、沈滞と。 次の詩集『橡の黄葉』では、つぎの二編が、戦時中という時代を感じさせてくれる詩である。時代を感じる感じないは自由であるが、何処か読む者を暗くて不安な思いに駆り立てざるを得ないのではないか。そう思う。 霙の中の軽井沢の灯 遠く霙の中の数井沢の灯 今その灯の下には新刊の書物も 黒パンも珈琲もない …
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■冬二研究・第三章、3回

戦前の詩集は、今まで見てきた「青い夜道」「海の見える石段」「山鴫」「花冷え」につづいて「故国の歌」(昭和十五年七月、アオイ書房発刊)「「橡の黄葉」(昭和十八年一月、臼井書房発刊)「寂麦集」(昭和十九年七月、光文社創立事務所発刊)「山の祭」(昭和二十年四月、笛発行所発刊)「春愁」(昭和二十二年五月、岩谷書店発刊)「山国詩抄」(昭和二十二年…
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■冬二研究(第三章)2

冬二は「この短章は新しい試みである。僅かその一行か二行のなかに私は如何にきびしく純粋なイメージを追ったか。」と書いている(「立春より雨水に」)意欲的な作品であることは分かるだろう。 一見モダニズム風であるがけしてそうではない。 ここのイメージは殆どが植物と僅かの動物で、私たち口にすることができるありふれた物といっていいだろう…
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■再開。冬二研究(第三章)

(1)自らが語る「故国の菜」の詩法とは。 田中冬二が自ら詩法について語り始めたのは、戦後になってからのようであるが、「山鴫」から「花冷え」当たりの作品が、最も語彙の拡張や新しい書法を編み出した、力のこもった時期の作品群である。 さきほどもさっとしか触れなかったが、「故国の莱一」がその代表と云っていいだろう。 戦後に出た『現代詩…
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■舟川栄次郎論(第43回)

 この詩集『夢の橋』には詩や散文以外に、多くの歌謡の作品がのこされている、がここでは省略する。 ■「紅芙蓉」(作曲・黒坂富治)■「常福寺にて」(作曲・黒坂冨治)■「富山懸警察歌」(厳しくも見よ立山は)(作曲、黒坂富治)■組合歌「朝日匂ふ」(富山県地下足袋卸・小売り商業組合、組合歌)(作曲・黒坂富治)■「富山・新潟両県学童陸上体躯大…
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■舟川栄次郎論(第42回)

ここまで書いてきて、ふと自分のいままで書いた文章を振り返る。 五十年も前に書かれた、いわゆる近代詩から戦後詩に属する詩の世界について、そこから何をくみ取ろうとして書いたのか。偶然に見つけた舟川栄次郎という詩人と詩の世界のどこにひかれて、ここまで書きつないだのか。 いま詩は分からないものの代名詞みたいな言われかたもするが、たと…
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■舟川栄次郎論(第41回)

 詩集『千の名前』のなかの「草と砂」から、 「黄昏が夜に溶け出すあたりに 都電の幽霊が走っていた ありふれた孤独が 肌に触れているだけだった 孤独であることはあまりにたやすくて 夏はまだおわらなかった (まだ、死しんではいない……) それは苦しみの名。 獣が月を食べるとき 、 銀色の海岸がきえていった ココ椰子…
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■舟川栄次郎論(第40回)

私は、技としての私語りを書くつもりはないし、日記的文章を否定するものではない。 それが文学からほど遠いものだと言われようと、当然のことで、仕方のないことだと思っている。しかし「私語り」の詩はそんなに求められているとは感じられない。もともと詩は私語りだからだ。ましてメディアの持たない現代詩には関係のないことかも知れない。 ところで…
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■舟川栄次郎論(第39回)

(10)むすび―詩の本質と城山公園の詩碑。 この『夢の橋』では、「世の母親たちの心に、憩いを与え、自信を培い、更に力となる自然のささやき」(あとがき)を目指して詩集が編まれている。 このことは、詩の後退ではなくて、たぶん詩の摂理なのだ。高村光太郎を生涯心の師とあおいだ舟川が、戦時中の光太郎のいわゆる「戦争協力詩」をどのような気持…
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■舟川栄次郎論(第38回)

我々同人も また だれ独り、四季それぞれの山の彷徨・合宿。そして碧落居における夜を徹しての駄辨り、あの思い出を除いては自分の青春を語り得ない。 今、ここに水曜階同人相図り、舟川栄次郎氏遺稿集を発刊する所以のものも、詩への鎮魂の回向であり、自らへの青春の回帰でもある。 (以下略) 昭和五十七年六月二十七日     碧落塾水曜…
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■舟川栄次郎論(第37回)

いま役割と言ったが、詩人に特別の役割があるわけがない、詩人個人が地域に根ざして自らの言葉でつたえようとするもの。その生き方、姿勢といった方がいいかもしれない。 それはかつて高村光太郎に地方にいて詩を書くことの大切さを諭されたことによる決意であったと思いたい。それとも身体の都合で兵役を免れたと言うことが負い目になって、戦後、再び詩作…
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■舟川栄次郎論(第36回)

昭和三十年、舟川栄次郎が五十歳のとき『夢の橋』を上梓したのだが、かつての詩友であった源氏鶏太が、さっそく書評を北日本新聞(昭30・7・22付)に寄せている。 「詩集『夢の橋』には、いい詩や文章が、たくさんのっている。何れもが、東洋的であり、かつ北国的である。二十数年前、お互いに詩を書きハジメたころから、それが舟川君の特質であっ…
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